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~ 不確実な時代に、確かな基軸をもつ経営をおこなうために ~

続続・もっとコンテクスト(文脈)を!2018年05月08日 14:08

私は彼を好きです。
私が彼を好きです。
私は彼が好きです。
どれも英語に機械的に置き換えるなら(あえて翻訳とは言わない)、I like him. だ。
ふつうの日本人なら、上の3つの文章はそれぞれ状況が違うことが感じられるだろう。
彼を好きなのは私なのよ、あなたじゃないの。
私が好きなのは彼なのよ、あなたじゃないの。

上の3つの文章のコンテンツは「I like him.」だ。
しかし日本語は、「が」を用いることで状況(コンテクスト)を同時に伝えている。日本語はそういう素晴らしい特徴をもっているのだ。コンテクスト・リッチな言語と言えるのだろう。「わたし」「わたくし」「あたし」「ぼく」「俺」・・・一人称だけでもたくさん存在して、それぞれにイメージさせるものは異なる。なんて豊かな言語なのだろう。それゆえ叙情的表現に強い。心情に訴えかけるには便利な言語だ。(だからといって論理性に弱い言語、などとは主張していないことに注意!)

いや、英語だってコンテクストを伝える仕組みはある。「I want to eat an apple.」「I want to eat the apple.」「I want to eat apples.」と言い分けることで伝えようとしている。それでも「私は」「私が」の違いは難しいようだ。会話の中では強く発音することで使い分けるようだが、文章にしてしまうと同じになってしまう。

話は変わるが、『AI vs. 教科書が読めない子供たち』という本(教科書を、ではなく、教科書が、と書かれていることに注意)によれば、現在のAIは「意味に弱い」(意味を理解できない)とのことだ。それは常識をもたないからだという。常識というのは構成員の「暗黙的」了解事項だからだろう。AIに価値観を求めることは不可能だということだ。だから、コンテンツだけで処理できるような仕事(多くの伝票処理!)は、どんどんAIに置き換わっていくだろうが、価値観を必要とする仕事は、少なくとも現在のAIに任せることはできない。

AIが多くの仕事を奪っていくという指摘も、ある意味では正しいのだろう。その時代に生きていこうとするならば、もっとコンテクストに目を向けなければならない。そのヒントは、コンテクスト・リッチな言語である日本語にあるのではなかろうか。ある英文を「月が綺麗ですね」と訳すのはAIには不可能だ。

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